第二次世界大戦前夜の労働運動(3)

全員が「正規社員」になれた結果…

 組合運動の羽根をもがれた労働者は、内務省と厚生省に監視されながら、従業者移動防止法によって、企業・工場にしばりつけられる身となった。関東軍と手を給んだ住友最高幹部の企画院次長・小畑忠良が、大日本産業報国会の理事長に就いていたのだから、文字通り、軍需産業への国家総動員が成し遂げられた。もはや軍国主義者たちは、無制限に労働者から搾取できるようになった。国家も戦争体制を完成して、翌一九四一年末には、労働組合とは似てもつかぬこの報国運動に五五〇万の労働者が組織され、その年には、東條英機内開が発足して、十二月八日に真珠湾攻撃に突入したのである。資本家代表の金光は大政翼賛会の調査会長、翼賛政治会の政務調査会長大日本政治会の総務会長をつとめあげた。

ちなみに,「真珠湾攻撃に突入した」とは,「日本と米国が戦争を始めた」という意味です。この太平洋戦争(とその前の日中戦争)で,
日本の軍隊はアジアの人たちを約2000万人殺しました。
日本人は,軍人と民間人合わせて約350万人死にました。そのうち民間人は135万人でした。

現代の銀行業は詐欺