第二次世界大戦前夜の労働運動(1)

広瀬隆著「持丸長者〜国家狂乱編」より
この本,すごいです。無茶苦茶詳しく書かれて(広瀬さんはほんのエッセンスだと言ってますが),分厚い本ですが,万難を排して読まれることをお勧めします。
幕末維新編の続編ですので,幕末維新編からどうぞ。
この中で,労働運動に関しての極めて興味深い記述をご案内します。

 ここまで軍部と政治家に話をしぼって述べてきたが、そのとき国民は、とりわけ貧しい労働者と農民はどのような状態にあったのか。二・二六事件一九三六年に労働組合員は四二万人を超えて、戦前の最高を記録していた。ストライキの件数はほぼ五〇〇件で、参加者は二万六七七二人であった。農村では、小作人組合員がほぼ二三万人で、小作争議が五七六九件という異常な件数に運した。翌一九三七年には、ストライキ参加者が五万三四二九人と二倍に増え、労働争議の参加者は二〇万人を突破した。貧しい労働者の運動がピークに達し、組合員が最高を記録したとは、このあと減少したということである。なぜ減少したか。
 それまでの景気の上昇は、決して労働者の暮らしを向上させてはいなかった。国内には天地の開きほど貧富の差があり、さらに労働者のあいだでも差別があった。原因は、明治時代に入って工場労働が始まりながら、ほとんどの工場にあった職制の大きな差別であった。江戸時代からの徒弟制度における丁稚奉公や職人気質がその底流にあり、親方に従う勤勉な労働者、という日本人の従順さが経営者によって巧みに利用され、ほとんど近代化されていなかったからである。職工・女工は日給で不安な日々を送る労働者であるのに対して、ひと握りの職員は月給労働者であり、その給与や待遇には格段の違いがあった。現代に見る、パートと正社員の差別待遇と同じである。政府は、この身分格差を利用する一石二鳥の方法を考えついた。だがそれを実行するには、もうひとつ大事件を仕組む必要があった。

 今の日本では,ストライキなどほとんど起きませんが(全駐労などの例はある),治安維持法下・日中戦争開戦時の1937年にこんなにストライキが頻発していたとはびっくりです。
 さらに,戦前の工場労働者が,こんなに分断支配されていたのも知りませんでした。今の正規労働者・非正規労働者(派遣・請負)混在職場にそっくりです。バブル崩壊以降,日本は戦前の状況に似てきているようです。

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