戦争案内(6)

 「日本のODA(政府開発援助)は,開発途上国の経済の発展のために使われている」と思っているでしょ?
 わたしも最近までそう思っていました。しかし,実態は…

 ではここで、私たちが一九九三年から九五年にかけて見てきた、ミンダナオの現状を報告しましょう。その前になぜミンダナオヘ行こうと思い立ったのか、そこから、お話しなければなりません。一九九二年に完成した『教えられなかった戦争・マレー編』の試写会の後、親しい人だちと一緒に食事をしました。その席で、当時百人町教会の牧師をされていた阿蘇敏文氏が、涙をぼろぼろこぼしながら話されました。「つい先日、私がとても親しくしていたミンダナオのNGOの活動家、ロロイさんとトドンさんが虐殺されてしまいました。フィリピンの特殊部隊に捕らえられ、喉を切られて血を抜かれた後、メインストリートに投げ出されました。ミンダナオでは日本の大型漁船が沿岸で根こそぎ魚をすくい上げてしまうため、零細漁民は漁獲高が激減してしまって、生活できなくなっているのです。それで、岸に近いところでの大型漁船の操業を規制してもらおうと調査をしていたのです。それに彼等は外国企業による環境破壊の問題も調査していました。」その牧師の話によると、ミンダナオでは日本のODAも関係した大型漁船専用港の建設や、地熱発電の建設、森林伐採、バナナやパイナップルの巨大プランテーション建設などによって、すさまじい環境破壊が起きていて、しかもその過程で暴力が使われているとのことでした。そこで早速一九九三年三月、助監督と調査に行くことにしました。

 ミンダナオでは、『真の開発のための連帯』という、ミンダナオに住むさまざまな民族合同のNGOの人たちが丁寧に案内し、解説をして下さいました。またちょうどその時、キボ山というミンダナオの最高峰の山の麓で、ミンダナオの先住民の人たちが、開発による環境破壊に抗議する大きな集会とデモを行うというので参加しました。
 実はこのキボ山というのは、ミンダナオの先住民の人だちからは、神の山として信仰上大切にされている山です。ところが、その山の頂上近くを掘り返して、地熱発電所の建設工事を曰本のODAを使って行っていました。しかもその工事に伴って、そこの住民たちが飲料水として利用している川に、ヒ素混じりの泥を流してしまって、大変な公害を発生させていました。そしてその公害の調査に協力し、反公害の運動を始めようとしていた住民が三人殺されていました。デモは大変大規模なもので、交通の便の何もないところに考えられないほどの人々が集まってきていました。三日間もかけて徒歩で、いくつも山を越えてきた人々もいました。ミンダナオにおける開発の問題の深刻さがそこには現れていました。
 ミンダナオは一九六〇年代までは、熱帯雨林の世界的な宝庫として、とても豊かな島でした。当時のことをミンダナオのお年寄りは、みな生き生きと語ってくれます。海に漁に出るとき、釣りの餌にするため、川で笊(ざる)を使って小海老を掬って、五〇匹の海老を持って海に行けば、必ず五〇匹の大きな魚が釣れていたといいます。ですから小さな一人乗りの小船で二時間も海にでれば、釣れた魚を市場で売って一家五人の生活費が稼げていたそうです。二〜三人の子供の学費も賄えていたともいってました。そして先住民の人たちは、土地を私有するという考えがありませんでした。みなそれぞれ自分たちが生活するために必要な広さの土地を耕やして畑として使い、家も建て、豊かな山から本の実を拾ってきたり、獣を捕ったり、薬草を採取していました。若い人たちも自分たちが子供の頃は、きれいな水の流れる川で、遊びながら海老や魚がいくらでも穫れていたと語ってくれました。
 一九世紀までフィリピンを植民地支配してきたスペインも、その豊かなミンダナオを支配しようと試みましたが、ことごとくモロ族を中心にした先住民の頑強な抵抗にあって支配することはできませんでした。そこで二〇世紀からフィリピンを支配し始めたアメリカは、戦後一九六〇年代からフィリピンのミンダナオ以外の島々で「ミンダナオに行けば、豊かな土地が幾らでも自分のものにできる、金持ちになれる。」との大キャンペーンを行い始めました。それと同時にフィリピン政府は土地を役場に届け出ればその土地が自分のものになるという法律を制定して、ミンダナオ以外の人たちにそのことを伝えて煽り立てました。これをきっかけにビサヤ諸島のビサヤ族の人々を中心に、百万人以上の人々がミンダナオに移住しました。ミンダナオにそれまで住んでいた人たちは、自分で土地を占有するという考えを持っていませんでした。先住民の人たちは、新しい移住者が困るだろうと思って自分たちが耕して使っていた土地も、気前よく貸してあげたそうです。
 ところが新しく移住してきた人たちの中に、悪質な土地ブローカーが入り込んでいて、片っ端から役場に届けをだして自分のものにしてしまいました。先住民の人たちが住居として使っている土地も勝手に届けをだして、「ここは俺の土地だから出て行け!」と追い立て、先住民の人たちがそれに応じないと、警察や国軍の力を使って追い払いました。大きなトラブルが各地で起こっています。またこのトラブルで先住民に大勢の犠牲者がでています。
 ミンダナオの先住民の中心勢力はイスラム教徒(モロ)で、後から入ってきたフィリピン人は、おもにキリスト教徒のビサヤ族だったため、日本での報道で判断するかぎり、ミンダナオで起こっているこのトラブルは、民族紛争とか宗教対立という理解をしていました。ところがこのトラブルの根本原因は、アメリカや日本の資本による開発に伴うトラブルであることが分かりました。ビサヤ族の土地ブローカーが、先住民から取り上げた土地は、ことごとくアメリカのドール社やデルモンテ社、それに日本の住友商事などが借り上げて、広大なバナナやパイナップルなどのプランテーションとして使っていました。これはアメリカの新しい植民地政策の一つでした。
 一九九四年現在ミンダナオで外国企業が使用している土地は、ミンダナオの全面積の五〇%を越していました。ミンダナオには山も川も湖もあるわけですから、この数字は耕作地として使用できるほとんどすべての土地を、外国企業が占有してしまったということだと思います。事実私たちがミンダナオヘ撮影にでかけたとき、かなり広い範囲を車で移動しましたが、バナナやパイナップルや椰子のプランテーション以外の住民の畑らしいところをみた記憶がほとんどありません。わずかに住居の周りで野菜などを植えている小さな畑をみただけです。

 ODAって,日本の企業を儲けさせるためだけにあるんですね。ごく一部の支配層を除いた現地の人たちは,ODAなんかない方がよっぽど豊かな暮らしをしていたんです。
 ODAは,日本だけでなく(日本人が無関心のため日本は特にひどいようですが)世界の先進国が「開発途上国」の人たちを搾取・収奪するために存在しています。



現代の銀行業は詐欺