戦争案内(4)

今回は,非常に重要な記述があります。1945年8月に日本は戦争に負けてそれまでの植民地をすべて失いました。その後,その植民地がどうなったか?,を教えてくれます。わたしは,今まで単純に植民地の人たちは圧制から解放されて,独立した国家を持って幸福になったんだろうとばかり思っていました。しかし,実際には…


フィリピンの戦後
 アメリカがどのようにして戦後アジアに、親米政権を作り上げていったか、私たちが現地調査して、直接当事者から開いたお話をもとに報告します。
 日本の支配下で闘っていた、フィリピンの抵抗組織フクバラハップの基本方針は、大きな柱が三本ありました。その一つは曰本の支配からの解放、次がフィリピンの大地主・大資本家の支配からの解放、それにもう一つアメリカ植民地支配からの完全な解放・独立でした。ですから日本に勝利した後ただちに、フクバラハップの人たちは、真の独立国の建設準備に入りました。憲法草案も準備していました。ところがマッカーサーを先頭にフィリピンに乗り込んできたアメリカ軍は、再びフィリピンをアメリカの植民地にする目的を持っていましたので、まずフクバラハップの武装解除をします。そしてフィリピンの大地主・資本家に近い政治家に政権を作らせました。そして選挙もするのですが、当選した民主勢力の国会議員をただちに追放して、フクバラハップを、非合法組織にして解散を命じました。そのあと一九四八年からフクバラハップ系の人々の大虐殺を開始します。フクバラハップの人々の証言によると、日本車と戦ったときに出た犠牲者の、倍以上の仲間がアメリカ軍やその手先によって虐殺されたそうです。
 そのときの様子を、元フクバラハップ団の女性部隊長で、戦後アメリカの手先によって最愛の夫を殺されてしまったリー・ワイワイさんは、「戦後、解放を勝ち取って、これから自分たちの国造りが出来ると信じていたら、アメリカがまた乗り込んできて私たちの仲間を、まるで鶏でもつかまえるようにつかまえて、次々殺し始めたので、私たちも再び武器を手にとって山に龍ることになったのです」と語ってくれました。そのとき彼女は、小さな手帳を大事そうに手に持っていました。「この手帳は夫がいつも肌身離さず持っていたものです。日記がわりに身じかなことをいつも書いていました。殺される間際まで書かれています。」その手帳には生々しい、血痕が付いていました。
 一九四三年マッカーサーとともに、フィリピンに乗り込んできた米軍兵士のウィリアム・ポメロイさんは、白分たちアメリカ軍は、フィリピンの民衆を目本の植民地支配から解放するためにやってきたと思い込んでいた。しかしアメリカ軍の目的が、フィリピンを再び植民地化することに気がついて、フクバラハップヘの弾圧が始まったとき、米軍を脱け出しています。そしてフクバラハップ団に参加、フィリピン独立のために戦いました。しかし一九五二年に捕えられ国外追放され、今はロンドンで亡命生活を送っています。一九九四年ロンドンまで訪ねて行きました。そのときポメロイさんが話して下さったことを、少し紹介しましょう。
 「フィリピンに始めて足を踏み入れたときに、農村のあまりにも貧困であることに驚いた。それは戦争中の破壊以前の問題で、五〇年間フィリピンを植民地にして得たアメリカの利益が、彼等を貧困にしていることに気がついた。農民の家には、家具らしい物も電気も水道もなかった。しかもアメリカの植民地支配の現われは、貧困だけではなく自由のために独立を求めて闘った人々を、弾圧していたことを知った。そして戦後、独立を求める人たちの武装解除マッカーサーがやったことに、私は怒った。アメリカはフィリピンに真の独立を与える気はなかったのだ。そこで私は、フク団の人たちのミーティングに参加したり、集会に参加するようになった。やがて私はフク団のメンバーとして迎えられたのです。」そして彼は、戦後のアメリカによるアジア植民地政策の実態を話して下さった後「日本は今、憲法を変えて、海外に軍隊を送れるようにしようとしています。拡張する経済と軍国主義は分かちがたく結びついています。これは危険なことです」と警告してくれました。
 フィリピンでフクバラハップの人々に対する虐殺が姑まったのは一九四八年です。マレーシアでも、シンガポールでも、韓国の済州島でも同じ年に民主勢力に対する大虐殺があったことを、私はそれぞれ現地で聞きました。これは時期的なものは多少違っても、戦後アジアで起こったことは大体同じパターンになっています。国によって、最初は旧植民地宗主国のイギリスであったりフランス、オランダであったりしていますが、最終的にはアメリカの軍事力によって、民主勢力の圧殺、親米政権の樹立が追及されています。これは日本の国内においても、むき出しの軍事力をアメリカが使ったかどうかの差はありますが、同時期同じ政策がとられています。ですから軍車力によって作り上げられた親米政権・開発独裁政権の国々は、その体制を維持するためには、ひき続きやはりアメリカの軍事力が欠かせない。その軍事体制の要が沖縄にあることになります。
 親米政権が樹立されたフィリピンでは、ただちにアメリカとの間で悪名高いベル通商法を始め様々な通商条約などが締結されました。アメリカに対して、植民地時代と同等の資本の活動の『自由』が保証されました。その具体的内容は、アメリカ資本がフィリピンで事業を始める『自由』、アメリカ企業がフィリピンの土地を入手する『自由』、公害を垂れ流し環境を破壊する『自由』、無税ないしは極端に安い税率で物を輸入したり輸出する『自由』、労働者の基本的人権を奪って働かす『自由』、企業活動の邪魔になる人物をサルベージする(警官や軍隊が、捕らえた人物を、裁判なしで即刻殺してしまう)『自由』。この『自由』を確保するためにアメリカは、フィリピンの国家権力、警察、軍隊を『自由』に使っています。そしてフィリピン国軍のなかでも、外国資本のための仕事を最も忠実に果たす特殊部隊は、常時沖縄の読谷村にあるグリーン・ペレーの基地で訓練をうけています。先頃インドネシア民主化運動に、先頭を切って立ち上がった学生を、誘拐したり虐殺したインドネシアの特殊部隊も、この読谷村のグリーン・ペレー基地で訓練をうけていました。アジアの開発独裁政権の特殊部隊(レッド・べレー)はみな、ここで訓練をうけています。
 ところが現在、アジアに投資している資本は、アメリカより曰本のほうが上回っています。ということは、アメリカの軍事力によってアジアに作り出され、維持されている資本のための『自由』は、曰本の資本家にとってありかたいものであり、無くてはならないもののはずです。つまり沖縄にある米軍基地、それを保障している日米安保条約は、日本の資本家にとって、どうしても必要なものとなっています。今、アジアの各地で、環境を破壊したり、アジアの人々の人権を抑圧しながら、日本の企業が他では得られない莫大な利益をあげることができる条件を、暴力的に保証しているその要が、沖縄の米軍基地であるということです。




続く
現代の銀行業は詐欺