戦争案内(2)

明治天皇の蓄財の方法です

 軍備増強と国会議員買収
 日本最初の侵略戦争ともいうべき日清戦争前後の時代、資料として面白いというかあきれた資料が残っています。伊藤博文の演説にもあるように、侵略戦争のための軍備増強を達成するためには、増税しなければなりません。その時の首相は、山県有朋です。山県内閣は、国会に増税案を何度も上程するのですが否決されます。
 そこで山県は、反対派の国会議員を買収するために、議員の歳費を一挙五倍に引上げたうえに、有力議員に直接買収資金を多額に与えて、増税案を成立させました。その買収資金を提供したのは天皇でした。当時のお金で九八万円です。今の金額にしたら恐らく一〇〇億円以上のお金でしょう。当時一〇〇〇円で都心に一軒家が買えた時代ですから。このことが今私たちに分かるのは、このいきさつを見ていた西園寺公望の日記が国会図書館に残されていて、その中に書かれていたからです。その中には「首相の山県は、国会議員買収のため天皇から受け取った資金を、どうも一部自分の懐にいれているようだ」と書いています。現在の自民党幹部と同じですね。
 しかし、天皇がなぜこんな大金を出したのか、日清戦争天皇がどれだけ儲かったかを見ればよく分かります。日本は国家予算をふんだんに使って軍備を大増強して、日清戦争に勝ちました。日本は、清国から賠償金を三億五〇〇〇万円取ります。そのうちの二〇〇〇万円は天皇がもらっています。当時国家予算が一億そこそこの時代ですから、国家予算の二〇%に値する金を、天皇は受け取っているのです。そして、日清戦争に勝った日本は、台湾を植民地にしてしまいますが、その台湾の最大の産業の製糖業は三井物産が独占的に経営します。天皇はその台湾製糖の第二位の株主になっています。台湾製糖の株の配当は一〇年後に一.一%、ニ○年後には一〇〇%になっています。しかも日清戦争に勝って、清国から国家予算の三倍以上の巨額な賠償金を分捕って、これが日本資本主義経済発展の土台を築くことになったといわれています。これだけを見ても、侵略戦争・植民地獲得がいかに資本家にとって儲けにつながるかが分かります。
 しかし日清戦争で犠牲になった人々、その家族、また植民地にされてすべての産業を支配され資源を奪われ、自由を拘束された台湾の民衆のことを、忘れるわけにはいきません。いずれこのことも詳しく調査して、作品にしなければならないと思っています。先日沖縄で行われた国際シンポジウムでお会いした台湾の作家陳 映真さんも、全面的に協力しますからぜひ実現してほしいといっていました。披が持っている、日本支配時代の貴重な写真三〇〇枚をいつでも提供するからと約束してくれました。
 日本が植民地にする前には、台湾入が経営する製糖工場が一、一一七ありました。それが一八九四年に日清戦争に勝った日本が、台湾を植民地にした後三井物産が当時台湾で最も有望だった製糖業を独占的に奪ったため、一九四五年の時点では台湾入が経営する製糖業は一つも残っていませんでした。



続く
現代の銀行業は詐欺